2010年6月20日日曜日

4年生で習う北欧神話

北欧神話は、なぜギリシア神話と似ているのか


よく、北欧神話とギリシア神話を比較している人を見かけるが、何も考えずに比較してしまうのは、すこし危険な行為だ。

なぜよろしくないかというと、全く違う文化圏に属する神話を、ひとつの視点から判断することは、相手のことを知らずに偏見にとらわれる可能性を秘めているからだ。
 一昔前の、未開地域の人々をを「土人」と呼んで蛮族として扱った欧米人のような、実にお粗末な偏見に捕らわれてしまっては、相手の文化を真摯に理解することは出来ないだろう。

 異なる文化には、それぞれの価値観や長所があり、貧しい文化と豊かな文化の違いがあるわけではない。物質的な栄華を極めたものが優れているわけではなく、戦いを好み血を流す神話だけが残酷なわけではない。
 だから、なぜ北欧神話がギリシア神話を元にして語られなければならないのか、そうする理由や利点はどこにあるのかを考えることは、ある程度必要である。ギリシア神話を元にするという行為は、そもそも、「ギリシア神話があらゆる神話の中心である」という前提、ひいては、ローマ人の「ローマこそ世界の中心である」思想を元にしていたかもしれないからだ。


 能書きはともかく、北欧神話(エジプト神話もだが)は、とかくギリシア神話を引き合いにして語られる。なぜかというと、北欧人は自分たちの信仰や歴史を文字にして語らなかったし、エジプト人は、文字にはしたものの時代があまりに古すぎて、おもて向きに残っている部分はごく僅かだからである。
 しかし、だからといって、他国から見た記録に頼ることは正しいだろうか。いくら豊富でも、その記録は意味のあるものなのだろうか。

 最初に北欧、ゲルマン民族の神話とギリシア神話を比較したのは、ローマ人タキトゥスだろう。
 彼によって「ゲルマーニア」という書物が書かれたのが、紀元後1世紀(正確には98年とされている。「歴史」が出版されたのが105年)。「エッダ」と呼ばれる書物が書かれるより、はるか千年も昔のことだ。
 ローマは勇敢なゲルマン人を傭兵として雇っていたし、ゲルマン民族の移動によって国土を脅かされる関係でもあった。それなりに、興味は持っていたのだろう。
 だが、この興味はあくまで「自分たちが上」と、いう立場のもので、ゲルマン人は北の異民族、文字も持たぬ連中という認識であったようだ。ことさら意識して偏見を持たなくとも、完全に理解できたとは言いがたい。なにしろ、情報化された現代でさえ、いまだに日本といえばゲイシャ・フジヤマだと思っている欧米人がいるくらいだ。
 ゆえに、最古のゲルマン資料である「ゲルマーニア」が、北欧人たちの信仰を正確に表しているとは思えない。勘違いや、理解に浅い部分も、あるだろう。

 しかもタキトゥスは、どういうわけか、エジプトのイシス女神まで引っ張り出してきて北欧神話と比類している。
 最高神(オーディンのことか?)をヘルメスと呼んだり、スエービー族の女神がイシス女神になったりで、そのまま信用してしまうと、どこぞの三流オカルト雑誌の連載のようにも思える。しかも、タキトゥスは、その神に対するゲルマン人の呼称は一切書いていない。
 タキトゥスがヘルメスと呼んだ神はオーディンである、というのは定説となっているが、彼は、オーディンという名も、それに似た名前も、書いていないのである。また、その神に関する詳細な信仰や性格についても、言及されていない。

 と、いうことは、その神はオーディンによく似た別の神かもしれないし、オーディンだが未だオーディンという名前では呼ばれていなかったかもしれないし、よく知られている、ルーン文字の発明者や戦死者の父という属性を持たない状態のオーディンだったかもしれない。
 この事情を知らずに、ギリシア神話と比較した説を鵜呑みにして語るのは、ちょっとばかり神話への愛が足りない。
 北欧神話を、ギリシア神話から語ろうとするとき、ふたつの神話の間に横たわる基本的な文化や価値観の差異は、無視されていることが多い。
 また、タキトゥスは偏見を持たなかったかもしれないが、タキトゥスの書物をもとにして研究した現代の研究者の中に、知らず知らず、「思い込み」が形成されている可能性もあるのだ。

 もちろん、「ゲルマーニア」が、古代北欧を研究するうえで全く無駄だと言っているわけではない。
 何しろ、これが書かれた時代、北欧人は、まだ文字による記録という文化を持っていなかった。その時代の歴史は、出土品や遺跡から推測するしかない。そんな中、まだキリスト教が影響を及ぼしていない時代の、唯一のまとまった文献資料、しかも、貴重なゲルマン人の文化を断片的ながら伝えてくれるものが、この「ゲルマーニア」である。
 ただし、ただ外から眺めただけの本では、人々の信仰がそのまま表されているとは言い難い、この本の内容をそのまま受け止めるわけには行かない、と、そういうことだ。


 ところで、ギリシア神話とゲルマン神話に、部分的に繋がりらしきものが見えるのは、事実である。
 民族移動地図にはウッカリ書き忘れたが、それぞれの民族移動には、年代の違いがある。南のゴート族などは、4世紀という、かなり早い時代に移動を開始していて、かなり早い段階でイタリアに国を築き、ローマと関係を結んでいる。その時代、ローマではまだキリスト教化が始まっていなかったのだが、国を作って文化に興味を抱き始めた頃、頃よく、かのテオドシウス帝が即位して、キリスト教の布教を開始した。

 分かりやすく言うと、それまで安住の地を求めて戦いに明け暮れていた、ゲルマン民族の一派・ゴート人が、定住地を定め、はじめて「文化」というものを得た頃、彼らが最初に見聞きした他国の神話は、ギリシア神話だったはずなのだ。

 彼らにとって、その神話はどう映っただろうか?
 ゲルマン人もギリシア人も、ともにかなり好戦的な民族である。もしギリシアの神話が、恋愛ネタばかりの甘っちょろい神話であったなら、ゴート人はあまり興味を抱かなかったのではないか。
 ギリシアにも英雄物語があり、血で血を洗う激しい伝承が幾つもある。これを自分たちの神話になぞらえて、彼らはそれを、仲間たちに伝えていったのではないか?

 「エッダ」の中に見える鍛冶屋ヴェルンドのサガなどは、ギリシア神話の鍛冶工ヘパイストスの物語を強く連想させる部分が多多あるという。また、足の腱を切られたヴェルンドが飛行服をつくって逃げ出す場面など、イカロス神話を思い出す。
 ヴェルンド・サガは、エッダの中でも最古の物語のひとつとされ、まだ人々がアイスランドへ移住しはじめる以前に生まれていたものと考えられている。と、いうことは、南で神話を仕入れたゴート人たちが、交易などを通じて、北に住むゲルマン民族にギリシア神話の片鱗を持ち込んだ可能性は、在るのではないか。

 と、いうより、私はそうだったと思っている。
 偶然似たにしては不自然だ。何らかの形で、ギリシア神話の一部が詩人たちによって取り込まれ、変容していったのではないだろうか。


 このようして、「ギリシア神話に似た北欧神話のエピソード」は、完成する。
 北国の神々そのものがギリシアから伝わっていったものなのではなく、伝わっていった神話が北国の神々に取り入れられて、部分的に同化していったのだろう。
 ゴート人やブルグント族など、南に移住したゲルマン民族は早いうちからキリスト教化されてしまい、自分たちの伝説を急速に失っていったが、はるか北に住む人々は長く昔物語を手放さなかった。
 そのために、ギリシア人たち自身さえ失ったギリシア神話を、その記憶の片隅に留め、もともと自分たちの持っていた物語と混ぜ合わせて新たな神話を生み出すことになった、とも考えられるのではないだろうか。

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